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  江戸のオランダ医学  



解体新書を皮切りに始まった西洋医学書の翻訳
前野良沢(1723-1803)

 中津藩医前野東元の養継子。良沢は通称、号は蘭化。青木昆陽に学んだ。長崎に遊学、吉雄耕牛、楢林栄左衛門にオランダ語を学んだ。J.A.クルムスの解剖書『ターヘルアナトミア』を手に入れ江戸に帰った。1771年江戸千住小塚原でおこなわれた死刑囚の腑分けを杉田玄白、中川淳庵らと見学した時、この解剖書と実物の一致に驚嘆した。中津藩中屋敷の自室で、良沢が盟主となって玄白、淳庵らと『ターヘルアナトミア』の会読を始め、翻訳にとりかかった。1774年『解体新書』として刊行されるとき、良沢は自分の名の掲載を拒絶した。おそらく訳業いまだ不完全と思ったのであろう。その後もオランダ語の文法などの造詣を深めていった。弟子大槻玄沢が初心者のために刊行した『蘭学階梯』には良沢の著述の引用が多いという。

杉田玄白(1733-1817)

 若狭小浜藩医杉田甫仙の子。西玄哲に学んだ。1771年江戸小塚原の腑分けで長崎屋から同藩の中川淳庵とともに手に入れた『ターヘルアナトミア』の図と実物が同じであることに驚き翻訳を決意した。1774年『解体新書』五巻を刊行した。この書を皮切りにオランダの医書が次々と翻訳されるようになった。玄白の天真楼塾からは大槻玄沢、養子の杉田伯元、実子の杉田立卿等多数の門人が育った。ハイステル(Lavrentii Heisteri)の外科書を手に入れ内容に感動した玄白は玄沢とともにその翻訳にとりかかり、死後その序章は『瘍医新書』として刊行された。

▲解体新書
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
haisuchiru.jpg▲ハイステル外科書  Institutiones chirurgicae
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
大槻玄沢(1757-1827)

 陸奥一ノ関藩医大槻玄梁の子。建部清庵に学んだ。江戸に出て杉田玄白、前野良沢のもとで蘭学を修めた。阿蘭陀書籍和解御用方に採用され、馬場佐十郎とともにショメールの百科事典の翻訳、『厚生新編』に関わった。長崎遊学時に見た吉雄耕牛のオランダ屋敷のオランダ正月の祝いを真似て、自塾芝蘭堂で新元会を開いた。そこには江戸の主立った蘭学者が集まり、玄沢は江戸蘭学の中心的存在であった。師杉田玄白の命で『解体新書』の改訂を行い、『重訂解体新書』を刊行した。ハイスチルの外科書の大業を玄白より引継ぎ、序章の『瘍医新書』に続いて次々と各章を翻訳して西洋外科学を明らかにした。

▲重訂解体新書
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
宇田川玄真(1769-1834)

 姓は安岡、字を玄真、号を榛斎という。宇田川玄随の門に入り、師の死後宇田川姓となった。大槻玄沢、桂川甫周、馬場佐十郎に蘭学を学んだ。杉田玄白の娘と結婚、養子となったが、離縁された。和蘭書籍和解御用方に採用されショメールの百科事典の翻訳、『厚生新編』に関わった。西洋解剖書を翻訳、それをまとめて『和蘭内景医範提綱』および『内象銅版図』を刊行した。本草学、薬物学の分野では養子の椿蓋とともに『和蘭薬鏡』、『遠西医方名物考』を刊行した。

 
▲和蘭内景医範提綱
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
 
▲内象銅版図
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
▲和蘭薬鏡
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)
▲遠西医方名物考
(長崎大学附属図書館医学分館所蔵)

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