生業・生活・風俗

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新吉原大門 明治中期


 吉原の妓楼(ぎろう)が西洋風に建て替えられていったのは明治9年(1876年)以降である。まもなく洋装の娼妓(しょうぎ)も登場し、人気を博した。
 本図は大門前から撮影されたもので、明治14年(1881年)4月に建てられた鋳鉄製の堅牢な門が見える。
 門柱には福地桜痴(ふくちおうち)の骨太の書で、右側に「春夢正濃満街桜雲」、左側に「秋信先通両行燈影」と彫り付けられている。門の上についているのはガス灯か。


20.9×26.7 cm
(6-21)