ハッサン・エルバフティミー
抄録
今回が、「核軍縮の不可逆性」概念をめぐる特集号の第3弾、かつ最終回となる。特集第1弾では、不可逆性概念を包括的に検討し、この未開拓の用語をめぐる概念的な基礎を固めた。第2弾では、不可逆性概念に関連した実証的な事例研究に焦点を当てた。検討したのは、南アフリカ、カザフスタン、北朝鮮、米ソ(米ロ)二国間の軍備管理協定の事例である。今回の特集第3弾では、次のテーマを検討することで概念の応用を図る。すなわち、▽原子力保障措置とIAEAの役割、▽中東やラテンアメリカからの地域的観点、▽透明性向上によって核軍縮の不可逆性をいかに高めることができるか、▽化学兵器軍縮の経験からの教訓、▽不可逆性のダイナミクスによっていかに長期的な軍備調達計画を理解しうるか、という問題である。今回の特集号をもって、『平和と核軍縮』誌での計3回に及ぶ特集は最終回となる。これまでに20本の論文を刊行し、「核軍縮の不可逆性」の概念、実証、政策的側面を検討してきた。不可逆的軍縮について世界的な議論を促進することへの関心が高まる中、これらの成果によって、複雑な事情を加味した、より噛み砕いた議論が行われること、広く言えば、「核兵器のない世界」の基礎を見通す取り組みを支援することを目指したい。
レオナルド・バンダーラ、ノア・メイヒュー、マルテ・ゲッシェ
抄録
本稿は、かつての核保有国において軍縮プロセスが完了したのちに国際原子力機関(IAEA)が原子力検証活動を行う際に直面する可能性のある課題について検討するものである。原子力検証分野での経験がある著名な実務家や学者と行ったワークショップでの議論を基にして、IAEAの抱える課題と可能性について、制度的、政治的、技術的側面からの検討を加える。第一に、かつての核保有国におけるIAEAの役割に関する過去の議論を簡単に振り返り、原子力保障措置が軍縮の環境下でいかにして不可逆性や検証可能性、透明性を達成しうるかを評価する。第二に、不可逆的軍縮を検証するIAEAの課題と可能性について、制度的、政治的、技術的側面から検討する。制度的側面とは、リソースの管理、法的枠組み、意思決定機構の適応のことである。政治的側面とは、IAEAの組織文化の転換と財政的制約の緩和の可能性をめぐることがらである。最後に、技術的側面とは、あらたな形態の機密物質に対処し、核物質目録の完全性を評価する既存及び新規の検証方法を活用する問題である。
マーク・ヒブズ
抄録
国際原子力機関(IAEA)の保障措置体制は、不可逆性の要素を強調したグローバルな核軍縮の将来的な検証体制に何らかの示唆を与えるかもしれない。本稿では、IAEAの経験が意味を持つかもしれない核軍縮検証メカニズムの側面を検討する。すなわち、検証の範囲と目的、保障措置の始点と終点、検証プロセス、結論の判定、遵守問題である。
ヘイリー・ウィンゴ
抄録
本稿では「検証研究・訓練・情報センター」(VERTIC)が2023年2月に主催したワークショップでの議論と結論を報告する。IAEA保障措置と核軍縮の専門家を集めたこのワークショップでは、現在の保障措置体制からの教訓とツールを将来の核軍縮シナリオに適用する可能性について議論がなされた。その目的は、「不可逆的軍縮」の文脈において意味を持つかもしれない保障措置のある側面について検討し、ワークショップ参加者の知識と専門的経験を基にしてそれらを評価することにあった。討論は、検証の範囲及び目的、検証の出発点、「国レベル概念」(SLC)や1997年の追加議定書といった既存の検証プロセスや枠組み、将来的な軍縮条約における条約不遵守のもたらす帰結あるいはその欠如といった問題について話し合われた。
ジョセフ・F・ピラット
抄録
透明性を向上させることは、検証措置を強化し核燃料サイクルをめぐる選択と運用の公開性を高めることで、核軍縮における不可逆性への信頼を強める。本稿は、検証をめぐる主要な課題を挙げ、その対処法について考える。また、透明性向上措置は、現在および将来の核燃料サイクル能力が、不可逆性に違反する手段としてではなく、想定通りに使用されるようにするために活用しうるものである。潜在的な核能力の保有は不可逆性に対して深刻な技術的問題をもたらすが、これは技術的レベルでは解決が難しいかもしれない。将来的には、政治的・法的アプローチが最善の道となりうる。
カリム・ハギャグ
抄録
「不可逆的軍縮」概念を中東に適用するにはいくつかの問題がある。概念的にみれば、中東の核問題に対処する主要な枠組み、すなわち、中東非大量破壊兵器地帯の創設は、不可逆的軍縮をつなぎ留めるような強力な軍縮の柱に欠いている。将来的な問題は構造的なものであり、「不可逆的軍縮」概念の進化の基礎になった状況と、中東での核をめぐる文脈とは大きく異なっている。まだ初発的な段階にはあるが、グローバルレベルの不可逆性の基礎にある概念と政治的枠組みは、核保有国と、核軍備管理や軍縮をめぐるよく定義されたグローバルな言説との間の比較的安定した戦略的相互作用という文脈の下で発展してきたものだ。この比較的安定的な文脈の下で発展してきた不可逆性の枠組みを、中東のより複雑で不安定、流動的な状況に移植するには、さまざまな困難が伴う。本稿はこうした難題に対処する初の試みである。「不可逆的軍縮」を中東に適用する最も可能性の高いアプローチは、中東非大量兵器破壊地帯に埋め込まれた地域の多国間枠組みを通じて行うものである。しかし、これまでに定式化されてきた「地帯」の枠組みにはさらなる発展を要する。とりわけ、実行可能な軍縮の柱や、地域的な核ヘッジと潜在的核保有の力学を緩和することを目的とした規定を組み込むことが必要となる。このことによって、より高いレベルの不可逆性を達成する、より好ましい地域的核環境を提供することをめざす。
エミリアーノ・J・ブイス
抄録
核不拡散条約(NPT)の文脈では、不可逆性は多国間核軍縮の重要原則として認められてきた。しかし、専門家の間での議論やNPT再検討プロセスでの議論では、「核兵器なき世界」を達成し維持していく上でこの概念とその役割をよりよく理解する必要性が示されている。したがって、不可逆性の原則は依然として明確なものではなく、その範囲については対立する解釈が現れている。本稿は、技術・法・政治の各側面を横断する学際的なアプローチから、核軍縮の文脈における不可逆性概念を検討する。とりわけ、このような普遍的概念をめぐるラテンアメリカの見方を紹介する。ラテンアメリカの専門家からの関連情報を分析し、それを他の情報源と比較する。地域的なアプローチとその独自性に焦点を当てることで、地域的な観点を効果的にグローバルな議論に流し込んでいく方途を探ることが可能となろう。
ジョン・ウォーカー
抄録
その中心的な要件として「不可逆性」の概念を含んだ国際軍縮条約を交渉することは難しい任務となろう。その目的が核兵器やその運搬・維持手段を不可逆的に廃棄することにある場合はとりわけそうだ。この任務はいくつかのレベルにおいて存在する。実践的・技術的レベルにおいては、効果的な検証体制をいかに設計し実行するかという問題であり、法的レベルにおいては、必要となる(諸概念の)定義、禁止事項、管理の問題をいかに位置付けるのかという問題であり、外交的レベルにおいては条約の諸条項や時間的要素についていかなる合意を導くのかという問題である。化学兵器禁止条約の主たる目標は、化学兵器やその生産施設を廃棄するところにあるが、同様に重要な目標は、その再来を防ぐことにある。事の中心にあるのは、物質や施設が、正当な平和目的にも使われうるし、実際的あるいは潜在的に敵対目的でも使用されうるという「軍民両用」の性格を持っている点にある。そして、兵器製造に必要な基本物質は自然中に存在している。このことは核兵器の問題にも当てはまる。となれば、私たちが化学兵器禁止条約の事例から学びうることは何であろうか? その目標として核の「不可逆性」を掲げた条約は、多くの難題にぶつかることだろう。その範囲が明晰であり、何十年にもわたってトラブルなく履行できるような条約の文言に合意することは、これまでの軍備管理・軍縮諸条約の歴史にかんがみれば、容易ならざることだ。しかし、ひとつ、大きな相違点がある。核の不可逆性を唯一の目的とした条約は、冷戦期のような紛争に満ちた世界では、交渉されることも履行されることもない、ということだ。
サラ・ツィニエリス
抄録
本稿は、大規模かつ長期にわたる軍備調達においていかにして不可逆性の状態が発生するかについて、「埋没費用の誤謬」概念に引き付けて理解しようと試みるものである。核兵器は不可逆的な軍備調達の一例であるが、軍事領域には他にも、強力な既得権になびきやすく、コストが雪だるま式に増え、「埋没費用の誤謬」に陥りやすいものが存在する。原子力潜水艦の建造は、国家がなしうる軍備調達の中でもっとも複雑なものだ。したがって本稿では、いわゆるAUKUS(コリンズ級潜水艦を退役させて、海軍力の欠落を生じさせないように、その後継機種の導入を図ろうとするオーストラリアの2度目の試み)の事例を通じて、不可逆性について分析する。AUKUSの文脈では、不可逆性の状態はいくつかの要素の複合によってもたらされると見られる。とりわけこれは、原子力産業を一から立ち上げようとする際に発生する強力な官僚制の力と、どのような代償を払っても原潜建造を成功させねばならないとする、潜水艦建造における過去の失敗の経験に起因している。本稿はまた、不可逆性がなぜ発生するのかを理解することに関心を寄せている。進化生物学での「蜂」の喩えを引いて、本稿では、軍備調達計画が数十年に及ぶ場合、意思決定者は省コスト評価を行うための完全情報に欠いているとの見方を提示する。「埋没費用の誤謬」は不可逆的な道に導くかもしれないが、その帰結は、当初想定したほどに欠陥のあるものではないかもしれない。結局のところ、長期的な決定にはコスト面での制約があり、国家は、予見し得ない将来の脅威に対処するための経験的な手段として、複雑なプロジェクトに取り組むことになる。
樋川和子
抄録
拒否的抑止の概念がバイオセキュリティに関連して導入されてきた。バイオセキュリティにおける拒否的抑止の目標は、相手に攻撃をあきらめさせることから広がり、攻撃時の市民保護を含むようになってきている。この意味で、違反や脱法の危険から遵守国を保護するという観点から、抑止と保障の要素が含まれるものと考えられる。本稿は、原子力保障措置の歴史的概観を行い、国際原子力機関による保障措置体制の限界に焦点を当てる中で、抑止のための保障と検証という要素に分けて検討する。つづけて、検証が抑止のための重要な要素だと考えられている生物兵器禁止条約の事例を検討し、効果的な保障において検証に代わるものとしての拒否的抑止の可能性について考える。また、バイオセキュリティにおいて拒否的抑止を採用することで、生物兵器禁止条約内の検証体制の欠陥を補い、強制的措置を必要とせず効果的な保障を提供することで相乗効果を発揮しうると本稿では論じる。
西田充
抄録
戦時に原爆投下を経験した唯一の国である日本は、政治の最高レベルにおいて核兵器禁止条約(TPNW)を積極的に評価している唯一の米同盟国である。岸田首相は、TPNWは「核兵器なき世界の実現を模索する中で、ひとつの出口となりうる非常に重要な条約」であると述べている。しかし、日本は、同条約の締約国会議にオブザーバーとして参加しないなど、条約からは距離を取っている。本稿は、条約形成の前後にわたるプロセスにおける日本の立場を説明しようと試みるものである。その際、人道上の関心と安全保障上の関心の二つの要素のバランスによって日本の核政策が成り立っているという仮説を採る。その上で本稿は、日本とTPNWとの間のありうる関与の形態について打開策を示すことを試みる。本稿は、TPNWの形式にとらわれることなく、TPNWとは別建ての枠組みに依拠する「形式よりも実質を取る」アプローチを採用する。こうすることで協力の機会が開かれることになるかもしれない。また、日本は、TPNWに関与することで安全保障上の利益について柔軟に考察し、条約のもつ安全保障上の長所と短所を予断なく包括的に計算することができる。核軍縮に実質的な進展がない限り(実際その可能性は薄い)、NPTは持続可能なものにはならないかもしれない。だとすれば、好むと好まざるとに関わらず、TPNWを永久に無視し続けることはできず、そう遠くない将来に、日本がTPNWとの関与を最終的に検討しなくてはならなくなる時が来るかもしれない。
カンノ・タカヤ、ミワ・ヒロフミ
抄録
本研究は、軍事的脅威に関する認知が、核兵器禁止条約への日本の加入に関する日本の世論にどのような効果をもたらすかを検討するものである。核に対する忌避感が日本ではかねてより強く、その心理に深く根ざしたものであるのは事実だが、一方で、「悪化する安全保障環境」という情報を事前に示された場合、同条約に対する人々の支持は低下するのではないかと筆者らは予想した。日本の市民の核に対する忌避感は条件付きのものであって、その態度にはしばしば揺れが見られること、国際法に対して無関心な傾向があること、といった最近の実験的なエビデンスがその予想の根拠となっている。さらに、海外諸国と国際機関からの圧力で人々の核兵器禁止条約への支持が強まる可能性について検討する。我々の調査実験は、安全保障上の脅威について示された場合には日本の人々の同条約への支持が弱まることを示しているが、その差は小さいものであり、マイナスの効果は中道的、保守的な市民に限定されていることを明らかにした。他方で、国際的な圧力が人々の条約支持を促進する効果は認められなかった。
ハルトヴィグ・ヒュメル
抄録
核兵器禁止条約(TPNW)の成立はグローバルな核秩序への挑戦となってきたが、それは核兵器国とその同盟国を避ける形であった。そのため一部の論者は、TPNWが核軍縮に対してもつ実際的な価値を否定してきた。しかし、条約支持派は、核兵器を非正統化し核兵器国とその同盟国を条約に加入させる「転換的な政治的力学」を期待している。本稿は、この「転換的な政治的力学」の議論に対して、概念的、実証的な貢献を成すことをめざしたものである。NATO加盟国における核兵器の役割と、核兵器を正統化、非正統化する戦略について検討する。ベルギーに関する事例研究では、NATOにおけるベルギーの核の役割に関連した同盟形成のプロセスと言説戦略について分析する。本稿は、軍事予算の承認や、NATO加盟国としての核をめぐる義務とされているものの黙認と引き換えに採られる象徴的な軍備管理・軍縮の措置の基盤は弱いことを示す。
マーク・S・ベル
抄録
本稿は、ウクライナにおける戦争の核の次元について検討するものであり、以下2点の議論を提示する。第一に、核の世界に関する我々の知識は基本的に限定的であり、ウクライナ戦争から我々が引き出す推論は暫定的なものにすぎないということ。第二に、ウクライナで我々が観察しているものは、核兵器に関する次のような基本的かつよく確立された理論的知見と少なくとも整合的であること。a)核兵器は抑止力となる、b)核兵器は何かを可能とする、c)核兵器のもたらすこれらの政治的効果は真の核リスクから生じる。本稿では、これらの知見を展開し、ウクライナにおける戦争からの既存の経験的証拠と整合性があるかどうかを検証する。全体としてみれば、ウクライナにおける戦争によって、核兵器をめぐる我々の理解を根本的に再考するような状況には到っていないと筆者は考える。
セニーラ・ピルナブスカイア、ジェレミー・ファウスト、ロイク・シモネ
抄録
2023年6月2日、ジェイク・サリバン米国家安全保障問題担当大統領補佐官は「無条件で」ロシアとの軍備管理協議に入りたいとの意向を明らかにした。この提案はロシアによって拒絶されたが、ホワイトハウスのこの方針は、交渉理論に対して「教科書的事例」を提供している。本稿は、「ハーバード交渉法」に依拠して、軍備管理協議に関与するロシアと米国の理論的関心、とりわけ、核のエスカレーションを予防し軍拡競争を回避したいとの明確な意図が双方にあることを示す。そのうえで、ウクライナに対する米国の支持も含めた広範な安全保障環境をめぐって現実にはなぜ双方の利益が分岐してしまうのかを説明する。本稿は、交渉に代わる米国とロシアの代替案や、「損害限定」の領域における共通基盤模索の可能性、双方に利益をもたらす創造的オプションを提示する。筆者らは、冷戦期の伝統にねざす形で軍備管理を「分断化」しようとの試みではなぜロシアを説得することができないかを問う。そのうえで筆者らは、現在の「聞く耳を持たない対話」から学べる教訓を基礎にして、軍備管理交渉における建設的な対話と進展を促進するための実戦的な勧告を行う。
ヴィンセント・イントンディ
抄録
ガザでの戦争開始以来、核兵器使用を求める声が強まっている。このことは、ガザでの核兵器使用を呼びかけている者たちは、1948年ジェノサイド条約第3条に規定された「ジェノサイドの煽動」違反として訴追されることはないのか、それとも、こうした発言は単に「言論の自由」として認められるべきものなのか、という問いを引き起こす。これらの個人は核戦争を推奨しているのか、あるいは煽動しているのか? 本稿は、核兵器と「ジェノサイドの煽動」との関係に着目し、これらの問いに答えることを目指す。
サディア・タスリーム、M・V・ラマナ
抄録
パキスタンには社会運動の長い歴史があり、その一部は軍の支配に対抗してきた。しかし、インドとパキスタンによる1998年の核実験直後からの短い時期を除けば、軍の保有する核兵器自体に対する反対は弱いものだった。本稿は、核兵器への反対がなぜほぼ不在であるのかについて、ひとつの要素を指摘する。すなわち、この25年間にパキスタンで核軍縮を主唱してきた者たちによる知的議論の質の問題である。パキスタンにおける1998年以後の反核批判は、核兵器の安全性と保安や、指揮・統制、軍拡競争の地政学的な必要性、短距離弾道ミサイルのような運搬システムの抱える作戦上の限界、核戦争のリスクに関連した問題に圧倒的に着目してきた。筆者らは、こうした議論は意図しない形で核兵器を正常化してきたと論じる。地政学を基礎としたその他の議論は、無秩序な世界において核兵器の存在を不可避のものと人々に感じさせてきた。核戦争の帰結への着目はパキスタンでは限定的なものであった。なぜなら、核兵器は、核兵器によるものであれ通常兵器によるものであれ、すべての大規模な戦争に対する究極の防衛策だと見られてきたからである。筆者らは、核兵器が日常の社会的生活、政治的生活においてもつ多くの意味合いに焦点をあて、より広い意味での批判を代わりに提示してみたい。