クリスティーン・パーサモア、アンディ・ウェバー
抄録
「拒否的抑止」は、その意図する軍事的・戦略的効果の達成を阻むような形で、敵対勢力の能力を相殺することを目的とした古典的な防衛戦略である。攻撃手段が成功する見込みが薄いが、それでもなお報復やエスカレーションのリスクは残るような場合であっても、そうした攻撃の実行自体を抑止できる可能性がある。生物兵器の脅威に対処するため、「拒否的抑止」がますます追求されるようになっている。この概念は生物防衛の分野で数十年にわたり多くの政府の取り組みを導いてきた。近年では、この分野で使用されるツールにおける画期的な進歩が生物兵器の効果を弱めており、それによってその開発と使用を抑止する方法において新時代に入りつつある。拒否的抑止による生物兵器の脅威への対応に関する本特集号では、その概念と必要能力、複数の政府によるその追求、日米防衛協力や日本の軍縮目標、生物兵器禁止条約への潜在的影響を検討する。
樋川和子(長崎大学教員)
抄録
核軍縮を提唱する日本は、核抑止力を当面の安全保障政策として採用しながら、そこからの明確な脱却の戦略を示していないために、批判に直面している。地域における生物・化学・核兵器の脅威への懸念が、防衛と軍縮目標とのバランスを複雑化させている。本稿は、生物兵器に対する非軍事的な拒否的抑止戦略が、日本が抑止の必要性から他国による核報復の威嚇に依存せざるを得ない状況を低減することで、軍縮と強固な防衛とをいかに両立しうるかを検討するものである。まずは、日本の軍縮政策と現行の安全保障戦略を検証し、次に、生物兵器攻撃に対する拒否的抑止政策が日本の核軍縮政策に与える潜在的影響を検討する。最後に、生物兵器攻撃に対する非軍事的な抑止的抑止戦略が、核抑止への依存を低減し、日本の核軍縮政策の信頼性を高める手段になり得ることを論じる。
西田充(長崎大学教員)、クリスティーン・パーサモア
抄録
本稿は、生物学的脅威に対する断固たる拒否的抑止アプローチが日米同盟に対して持つ含意について探るものである。新たな、より鋭い拒否的抑止アプローチにおいて、各国は生物兵器使用の意図された効果を拒絶することを目指すが、それは、迅速かつ効果的な検知・対応能力の構築を通じて、また同時に、攻撃を行った国家に報復を加えることによって、その目標を達成しようとする。本稿ではまず、2000年代初頭以降、米国の戦略がより野心的なものへと発展してきたこの手法やその他の方法について詳述する。要因としては、ロシアのウクライナ侵攻や、北朝鮮をはじめとした生物兵器計画に加え、バイオテクノロジーやAIなどの分野における急速な進歩を活用する機会の増加を挙げることができる。日本でバイオセキュリティや生物防衛能力が強化されてきたこともまた、新設のBSL-4施設で構築された知識・能力や、AI企業が新たなツール開発に取り組む動きを含め、ますます重要な役割を果たしていくことになろう。本稿はさらに、強化されたこの生物防衛の枠組みが核宣言政策とどう相互作用するのかを検討する。結論として、日米両国は、協議を制度化し、共同イノベーションを拡大し、生物学的レジリエンスと広範な抑止力の連携を推進すべきであり、これにより短期的には生物学的脅威への最善の対応が可能となり、長期的には核政策の再構築につなげることができるかもしれない。
クリストファー・イースト
抄録
英国は近年、2023年の「生物安全保障戦略」や「バイオ脅威レーダー」のような継続的取り組みが示す通り、生物安全保障対策を大幅に強化している。2023年戦略は、2030年までに生物学的脅威の全範囲に対するレジリエンスを確保するための重要な政策転換を示した。この戦略は包括的な「ワンヘルス」(One Health)アプローチの一環として、生物学的脅威に対抗するための4つの柱(理解・予防・探知・対応)を含んでいる。英国は、官民両部門を横断する生物安全保障の専門知識と能力を結集する、社会全体を巻き込んだ生物安全保障の計画と対応へのアプローチに関して、主導的提唱者となった。この戦略の発表後、英国政府は野心的な公約の実現に向けて取り組みを開始している。こうした初期の進展は、厳しい財政環境や従来型能力への優先的な投資が当然のこととされる状況下でも、継続的なリーダーシップと効果的な連携を必要とすることだろう。
シモ・ニッカリ、オウティ・クイヴァスニエミ
抄録
生物学的脅威その他の脅威に対する社会のレジリエンスは、社会全体の協調的な取り組みを通じて達成可能である。これは、生物学的攻撃の影響を減ずる「拒否的抑止」を安全保障戦略の一環として採用しようとするあらゆる国家にとって重要である。フィンランドの「2025年社会安全保障戦略」は、包括的安全保障の概念を提示しており、社会的レジリエンスの構築に向けた政府全体のアプローチの基盤を成している。本稿は、この戦略について述べるだけでなく、その前進を支える次の層の計画についても説明する。一例として、2024年に更新されたフィンランドの省庁横断的なCBRNE戦略は、生物兵器のみならず、化学兵器や放射線兵器、核物質・剤・爆発物の偶発的あるいは意図的な使用に対する備えを通じて、国家の包括的安全保障を支えるものである。保健医療分野では、2024年に採択された「医療・社会福祉のためのパンデミック対応計画」が、あらゆる災害への対応と「ワンヘルスアプローチ」を採用している。フィンランド政府は、生物学的脅威に対する国際的なレジリエンス構築のためには「地球規模」のアプローチが不可欠であると認識している。この概念は、生物兵器禁止条約や世界保健機関(WHO)の国際保健規則、そして近年採択された「パンデミック協定」などの国際条約や取り組みを通じて、多国間主義の中に埋め込まれている。
ヤロスラフ・クラスニー(長崎大学教員)
抄録
生物兵器禁止条約(BWC)は国際的な軍縮の礎石であり続けているが、検証体制の欠如と生物学的研究のもつ軍民両用の性格ゆえに持続的な課題に直面している。本稿では、レジリエンス、監視、生物防衛準備に焦点を当てた「拒否に基づくアプローチ」が、BWCの規範的基盤を維持しつつそれを強化しうることを検証する。生物分野では、帰属の困難さや法的制約から、従来の懲罰的な対応は依然として問題を抱えているが、その一方で、拒否に焦点を当てた措置は、悪用の誘因と機会を減らすためのより実践的かつ信頼性の高い道筋を提供している。ただし、これらの措置は、透明性実施の強固な慣行と組み合わせない限り、疑念を生むリスクがある。本稿は、歴史的・法的・政策的な展開を踏まえつつ、拒否を基盤とした戦略と近代化された信頼醸成措置、自発的なピアレビュー、オープンソースの透明性ツールを統合した、バランスの取れた枠組みが必要であると論じる。この組み合わせによって、必要な戦略的曖昧性を残しつつも、平和的意図を集団的に保証することができるようになる。技術革新や制度的適応、協力的透明性強化措置を通じたBWCの再活性化を目指した政策提言を行い、これによって、進化する生物学的リスクの下でもこの体制の有効に維持することをめざす。
荒川宜親
抄録
コロナウイルスの世界的パンデミックで経験されたように、微生物によるパンデミックは数百万人の死者を生む世界的災害となるだろう。実際、自然発生や風土性の微生物疾患は、ワクチン接種や有効な抗菌薬の使用、特定感染症患者の数の日常的な監視と追跡によって、ある程度は制御し予防することが可能である。しかしながら、人工的かつ新規の微生物学的危険の突発的な使用は、制御・抑制が極めて困難である。微生物兵器の製造には小規模な施設と限られた設備のみを要し、開発コストも低いため、その製造・貯蔵・輸送を探知することは困難であろう。もし新たな人工的微生物学的危険が、悪意ある集団によって免疫を持たない地域社会に意図的に拡散された場合、効果的な予防・抑制対策がなければ数百万人の死者が発生する可能性が高い。したがって、化学兵器や核兵器と同様に、人工微生物兵器の開発及び使用は、国際的な合意・協力・イニシアチブのもとで厳格に禁止されなければならないのである。
エミリー・クロフォード
抄録
核指揮・統制・通信(NC3)システムは、核兵器の発射決定がいつ、なぜ、どのように、誰によって行われるかを規定する、人員、政策、手順、インフラ、法規からなる複雑な仕組みである。その核心にあるものは、核兵器が正当な権限を持った者によって承認された場合にのみ発射され、意図的であるか偶発的であるかを問わず、無許可の発射がなされないことを保証するような設計である。NC3システムが効果を発揮するには、探知・警戒・攻撃特性評価、核作戦計画・標的選定、意思決定、命令受領、部隊の管理・指揮の実施といった、特定の重要な機能を遂行しなければならない。現行のNC3システムは、サイバー攻撃やその他の遠隔攻撃に対する脆弱性、旧式技術の陳腐化や複雑な指揮・通信構造に起因する弱点など、数多くの脆弱性に悩まされている。NC3システムがその目的を効果的かつ正確に達成するために各国は、「弾道ミサイル拡散防止のためのハーグ行動規範」に類似した行動規範を採択し、国家のNC3を統制する(また統制すべき)関連国際法と適切なベストプラクティスを明示し、核兵器の意図的または偶発的な不正発射が決して発生しないようにする必要がある。
ポリーナ・シノヴェッツ、ムハンマド・アリ・アルキシュ
抄録
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻に際し、プーチン大統領は演説で、ロシアのウクライナに対する「特別軍事作戦」に干渉しないよう西側諸国に警告した。核兵器使用の可能性を明確にほのめかすこの発言は、モスクワの作戦全体を特徴づけるものとなった。それ以来、ロシア当局やメディアのレトリックには毎月のように「核の切り札」が登場し、モスクワが西側に示す新たな「レッドライン(譲れない線)」を画してきた。ロシアは、新たに併合した地域の問題からウクライナへの武器供給に至るまであらゆることを持ちだして、開戦の口実、ひいては核戦争の可能性すらあると宣言した。しかし、ロシアのウクライナ侵攻から1年の状況をみれば、ロシアの核抑止戦略の限界が明らかになっている。当初設定されたロシアの「レッドライン」の多くは虚偽であったことが判明し、西側諸国やウクライナによる漸進的な越境もさらなるエスカレーションを招かなかった。むしろ、核シグナリングを多用することでロシアの発言に対する信頼性の低下を招き、最終的にはロシアの核威嚇の限界効用を逓減させることになってしまった。概して、ロシアの核抑止戦略に内在する特徴の一つとして、核を通じた威圧の効果が漸進的に摩耗していく様子が観察できよう。すなわち、核抑止力を普遍的な政策手段として用いる際の効用に一定の限界を課されていると言える。
ジーナ・キム
抄録
本研究は、意思決定が効用を最大化しつつコストとリスクを最小化することを目的とするという「合理的行為者モデル」を通じて、米国の対北朝鮮外交政策を分析するものである。本稿は、第二期トランプ政権でも、政策変更は構造的・戦略的要因によって制約されると論じる。分析は5つの主要領域に焦点を当てる:(1)政権をまたいだ米国の核不拡散目標における継続性または変化、(2)検証メカニズムを特に重視した、国際的な核不拡散・軍備管理枠組みの重要性、(3)米国の外交政策上の優先事項における北朝鮮の戦略的重要性、(4)政策の選択に影響を与える過去と現在の状況の比較、(5)政策転換に伴う潜在的な外交的・制度的コスト。本研究は、第二期トランプ政権において、戦術的な変更は起こり得るものの、持続的な制約のために抜本的な変革は起こり得ないと結論づける。
戸崎洋文
抄録
本稿は、岸田政権の核軍備管理・軍縮政策を、「核兵器のない世界」を目指す規範的責任と、国家安全保障を確保する戦略的責任という、「二重の責任」の視点から検証する。これらの責任は本質的に矛盾するものではないが、特に世界的な安全保障環境の悪化の中では、日本の核政策にジレンマをもたらすことが多かった。本研究では、岸田政権の核軍備管理・軍縮政策を次の4つに分類する。(1)規範的責任と整合させつつ、戦略的責任を重視する政策、(2)規範的責任を優先しつつ、戦略的責任と収束させる政策、(3)両者の均衡を図る試み、(4)両者の対立により一方を優先せざるを得なかった政策。分析では、公式声明、政策文書に加え、専門家やメディア報道から資料を補足的に用いる。本論文は、二つの責任を橋渡しして、日本の安全保障を強化し、国際的な軍縮規範を推進する上でどの程度の成功があったかを基準に、政権の政策を評価する。結論として、岸田政権は可能な限り二つの責任の両立を図ったものの、対立が生じた際には国家安全保障を優先したため、核廃絶推進派からの批判を招いたと指摘する。本研究は、今後の日本の核政策における主要な課題と示唆を浮き彫りにしている。
ダニエル・ラジミル、ルシア・モラレス、アナ・ガルシア・フアナテイ、デイビッド・カーボネル
抄録
2022年2月にウクライナ戦争が勃発して以来、欧州が核の脅威下での現実と直面する中、核をめぐる政治が再燃している。北大西洋条約機構(NATO)や各国指導者といった関連国際主体が、政治アジェンダに組み込む形で自国の政治舞台に核による威嚇を持ち込んだにもかかわらず、核抑止をめぐる議論は依然として日陰の地位にある。核脅威の可能性と、核兵器を含む様々な形態の核抑止に関する議論に影響を与える論争は、欧州の政治的文脈、特に欧州議会レベルでは非常に限定的であった。本稿は、欧州議会内で核をめぐる重要な政治的議論が存在しないことについて批判的洞察を提供し、欧州における将来の核抑止政策への影響を考察する。本稿の研究結果は、2022年2月以降、欧州議会において核をめぐる政治の芽が多少は出てきていることを示している。これは、欧州レベルでの核政治が、欧州議会という舞台ではなく、国家の管轄当局やNATOの枠組などの関連機関で依然として起こっている実情を明らかにしている。
パトリシア・ルイス、ジア・ミアン
抄録
2022年、国連核兵器禁止条約の初の締約国会議は、科学諮問グループの設置に合意した。本稿は、科学諮問グループの共同議長2名が執筆したものであり、核禁条約の概要と諮問グループの設置・任務・活動を紹介し、広範な「核兵器禁止条約科学ネットワーク」の構築に向けた同グループの主要な勧告と活動について述べる。本稿は、同グループの最近の公の行動、すなわち、核兵器の初生産・初実験・初使用・初使用威嚇から80周年を記念した声明についても触れる。この声明は、これらの出来事を核禁条約の中核的禁止事項と結びつけ、科学者が核兵器の危険性を警告してきた伝統を想起させるとともに、核兵器時代を終わらせるため科学者が個人・集団として行動を起こすよう呼びかけている。
イゴール・モリッチ、ティムール・カディシェフ、モリッツ・キュット
抄録
2024年8月、ハンブルク大学平和研究・安全保障政策研究所(IFSH)は、科学者、技術専門家、学者、政策専門家などのミサイル防衛の専門家を集めたワークショップを開催した。本ワークショップでは、ミサイル防衛技術の開発に伴う技術的・制度的・政策的・政治的要因とリスクの複合的要因を検証した。会議参加者はさらに、ミサイル防衛に関する知識の普及促進策や、政策決定者・一般市民への情報伝達方法の改善策についても議論した。
レイアット・ビーター、ジア・ミアン
抄録
2025年は、核時代をめぐる数々の有名な記念の年であった。実はあまり知られていないのだが、この年は1955年のバンドン会議から70周年でもあった。この年、世界人口の半数以上を占める29のアジア・アフリカ諸国の代表団と国家元首がインドネシアのバンドンに集結したのである。独立したばかりの国々によるこの前例のない集まりは、核で武装された冷戦を自らの政治的・経済的・文化的発展に対する最大の脅威と位置づけ、核軍縮の大義を全人類共通の課題と宣言することで、当時の予想を覆した。本稿は、バンドン会議が多国間核外交のその後の展開に与えた意義を検証する。とりわけ、1961年に創設された非同盟運動(NAM)は、1968年の核不拡散条約における軍縮義務の明記(第6条)や、2017年の核兵器禁止条約締結に至る交渉において中心的な役割を果たした。2025年11月現在、核禁条約には95カ国が署名し、さらに4カ国が加入しており、これはバンドンで始まった非同盟の核多国間主義の長い遺産を反映した立場をとる世界的な多数派を構成している。
林美香