長崎に始めて基督の福音を伝道した修道士ルイス・デ・アルメイダ Luis de Almeida は日本最初の南蛮外科医であり、ホスピタルの創始者である。彼は病を治し、こころも癒す病人が理想とする医師であった。
アルメイダは1525年、ポルトガルに生まれ、医師としての道を歩み、1546年に国王から外科医開業免許を下付された。1548年に貿易商人となるべく、インドに向かった。アルメイダは中国と日本の交易で財をなして、マカオで高名な商人となった。1552年、彼は日本を訪れ、ザビエルの日本布教の志を引き継いで活躍するトレス神父に会っている。1555年、アルメイダは富と名声を捨ててザビエルのように日本で宣教する決心をして再度日本に向かった。
平戸に上陸したアルメイダは、大友宗麟の城下町、豊後府内(大分市)に行き、ガ-ゴ神父の元で心霊修行を行なった。彼は親が幼子を大分川の入り江の砂地におき、満ち潮で溺死させるのを目の当たりにし、私財を投じて孤児院を建てた。1556年、巨万の富全てを寄進してイエズス会に入り、修道士となった。1557年トレス神父の命で、ハンセン病棟と一般病棟からなるホスピタルが建てられた。運営はミゼルコルディア(慈悲)の組と呼ばれる信徒組織に委ねられた。入院患者は彼がマカオやゴアから取り寄せた薬剤で治療を受けて驚異的に回復した。アルメイダは日本初の南蛮外科医として病める人の病を治し、修道士としてこころを癒した。膿んだ傷を焼灼する等外科の技量は日本人を瞠目させるものであった。
南蛮貿易の中心地であった平戸の領主はキリスト教に不寛容であり、日本初のキリシタン大名となった大村純忠の領地横瀬浦に貿易港が移されたのは1563年である。しかし純忠に反抗する勢力によって横瀬浦は焼き払われた。トレス神父は純忠と相談の上アルメイダを長崎に送った。領主の長崎甚左衛門は既に受洗しており、純忠の娘婿であった。1567年にアルメイダは長崎に基督の福音を伝道して会堂を開いた。彼は日本の教会の頭となる長崎の教会を始めただけでなく、長崎開港の扉をも開いたのである。1571年貿易の為に長崎の町が建設され、ポルトガル船が入港した。1580年長崎はイエズス会領となり、以後キリスト教と南蛮貿易の中心地として繁栄した。
アルメイダは島原、天草で布教し、多くの信者を得た。亡くなる4年前ようやく修道士から司祭に昇格し、天草全島の責任者となった。1583年、彼は天草河内浦で逝去した。